道草日和。

「マルドゥック・スクランブル」

「マルドゥック・スクランブル」
冲方丁
ハヤカワ文庫JA

「マルドゥック・スクランブル
The First Compression-圧縮」
(2010.05.04)

「マルドゥック・スクランブル
The Second Compression-燃焼」
(2010.05.04)

「マルドゥック・スクランブル
The Third Exhaust-排気」
(2010.05.05)

爆風のはじまり、暴力の展開ととまどい、長く果てしない精神戦、
再びの暴力と「変形した銃」。
3冊をなぞると、そんな物語になるだろうか。
「微睡みのセフィロト」と同じくここでも、
敵と味方、暴力と生存、被害者と加害者とが絡み合いながら描かれ、
なかでも「道具とその使い手」との関係は考えさせられる。
たとえばインターネット、いまは「開ききった」道具だが、
本来これは使い手を選ぶ道具、
使いこなすために心を鍛えねばならぬ道具なのでは…などと。
被害者は被害者、加害者も被害者、というのは
児童虐待や依存症家族などにも当てはまるが、
その構造を理解して描かれているからこそ、
物語をより「深い親密性」をもって読むことができるのだろう。

繰り返し、存在の「有用性」について語られる。
「無条件に愛されたことのない人間が、やがて必ず辿り着く」問い、
「私は生きていていいの?」の答えは「有用性」では小さすぎる。
作家は「私は生きていていいの?」を発する人間がどういうものか知っている。
だからいつか、「有用性」を超える答えを探しあてるだろう
(とはいえ、不調のときは私はいつも自らの「有用性」のなさに苦しむのだが…)。
声を失った代わりに足を手に入れた人魚姫、
美しい主人公の、美しさに罪があるはずがない。
それを言い訳にするおとなにこそ、引き受けなければならないものがある。
戦わなければ生きられなかった少女が、
本来過ごすべき時間を、いつか過ごせるように、と願う。

長く果てしない精神戦のシーンが好きだ。
といっても、本当に読むのが苦しかった。
苦しみの先に、敵が反転する場面に、
主人公とともに涙が出そうになる。
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by haraheri4 | 2010-05-05 16:13 | 読書 | Comments(0)
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