「ハーモニー」

「ハーモニー」
伊藤計劃
ハヤカワ文庫JA

「荒野 14歳」のあとから読み始め、
東日本大震災が起き、動揺しながら読み終えた。
こんな時に、
命とは、人とはどういうものか、という小説を読むことになるとは
全く思っていなかった。

「虐殺器官」で計劃氏は
「痛み・怒り・苦しみ」などの心の暗を外注に出した、
といえるのかもしれない。
そしてそうまでして、戦うことって必要なのだろうか、
という問を残した。
2009年に病気で亡くなった彼、
今回の「ハーモニー」が最後の長編となった。
「虐殺器官」が文庫化されたとき、氏はすでに亡くなっており、
なんておしい人を、と思ったものだが、
改めて思うし、氏が生きていたら、
どんな問を発してくれただろうか、と思わずにいられない。

今回外注に出したのは、前回よりももっと大きい。
暗だけでなく、明も。そして生そのものも。
ちらっと解説を読んで氏が「これはある意味ハッピーエンド」と語っていたと読んだ。
そうなの?それは本心から?だとすればかなり絶望していたの?
いや、氏がもつユーモアな部分から発せられたのだとしたら、
彼はまだ絶望していない。
私も絶望していない。

これは現実。
現実から見た未来図。
とんでもなくかけはなれて、すごく便利で、
かっこよくて、というSFではない。
いま、ここにある世界から彼が危惧するものを物語にした、
ように思う。
自分は自分、私は私。
私だけの痛みをもち、私だけの喜びがある。
それは誰にも外注できないし、させてはいけない。
すでに私たちは、多くの「プライバシー」をお上に握られている。
街角では「防犯」のためといって、カメラが始終私たちを見ている。
私をそんなに明け渡し、見つめられ続けることの苦痛、違和感。
それはすでに始まっているのだ。

もう、計劃氏の小説が読めないなんて。
ならば、問は私が見つけ、発していかなくてはいけない。
わたしと、「わたし」と、「わたし」とが。
(2011.03.18)
[PR]

by haraheri4 | 2011-03-20 10:12 | 読書 | Comments(0)